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最高裁医療判例real estate

最高裁医療判例
〇最判平18・11・14集民222号167頁

上部消化管出血を疑い内視鏡検査で出血源の検索と止血術を行うべき注意義務

G意見書は,「赤血球数,ヘモグロビン値及びヘマトクリット値が4月29日に急激に下がったこと,同日午後3時の血圧も94/72に下降し,頻脈も出現していること,看護記録には,同日午後2時の欄に粘血便5回ありとの記載があり,同日午後4時30分の欄にはタール便にて多量にありとの記載があることなどからすれば,同日午後4時30分の時点では迷うことなく上部消化管出血の可能性を考え,緊急内視鏡検査で出血源の検索と止血術を行い,出血性ショックに備えるべきであった。」,「4月29日から30日にかけての赤血球数,ヘモグロビン値及びヘマトクリット値の下降は極めて急激で,大量の消化管出血が生じていることは明らかであり,4月30日のヘモグロビン濃度約5.2g/dlを10g/dlまで上げるには,400t由来のMAP約4本を半日以内に輸血する必要があった。」などと指摘している。

ウ 前記確定事実によれば,@Bは,4月29日には粘血便が10回あり,そのうち午後4時30分以降はタール便となり,出血量は1000〜1500mlと推定されること,4月30日の下血量は約1000gであったこと,5月1日にはタール便や暗赤色便となる下血が14回あり,下血量は約1100gであったことなどからして,4月29日から5月1日にかけての下血,血便の量が相当多量になっていたこと,A術後におけるBのヘモグロビン値やヘマトクリット値の推移を見ると,4月24日に上行結腸の手術を受けて1週間も経ない4月30日に,ヘモグロビン値が5g/dl台に,ヘマトクリット値が13〜15%台にそれぞれ参考基準値をかなり下回る値にまで急に下降していること,BBには4月29日から同月30日にかけて頻脈が見られ,ショック指数も1.0を超えることが少なくなかったこと等の事実が認められ,これらの事実は,4月30日及び5月1日の各日において,Bがそれまでの出血傾向によりその循環血液量に顕著な不足を来す状態に陥り,その状態が継続したこと,そのためBに対し各日の800mlずつの輸血に加えて更に輸血を追加する必要性があったことをうかがわせるものである。そして,E意見書が挙げる子宮筋腫などによる貧血の場合と本件のBのように術後の出血により急に循環血液量が減少した場合とを同列に扱うことができるのか疑問であり,前記2(3)の医学的知見によれば,後者の場合の方が,生体組織の酸素代謝に障害が起き,出血性ショックを起こしやすいとも考えられる。E意見書の中にも,「術後の患者では一般的には,Hb値が7.0を切った場合,輸血を考慮する。この理由は,これ以下の値の場合,組織の酸素代謝に障害が起きることが,考えられるためである。」との記載がある。E意見書は,Bについて,亡くなる当日まで血圧が正常に保たれ,意識も清明であり,尿量も十分確保されていたことを根拠として,循環動態を含め,全身状態がほぼ良好に保たれていたとしているが,上記Bの出血量や下血量,ヘモグロビン値やヘマトクリット値の推移,ショック指数の動向に照らせば,Bの全身状態が良好に保たれていたとの意見をそのまま採用することはできない。

なお,E意見書は,「近年,輸血も移植の一つであると考える医師が増加している。輸血による合併症が重大視されており,可能な限り,輸血を避けるというのが,現在の医療界での主流である。被告は,Hb値が7.0を切った時点で家族に対して,輸血の申し入れをしているが,拒否されている。輸血の危険性が一般人にも喧伝されていたためであろう。」として,輸血に合併症の危険があることが輸血を追加しないことを正当化する根拠としているが,本件において,Bが輸血の追加を必要とする状態にあったとすれば,E意見書の上記一般論は,Y にBのショック状態による重篤化を防止すべき義務違反があったか否かの結論を左右するものではない。

原審は,Y において,4月28日から5月1日までの間にBの出血の部位が胃潰瘍であることを強く疑うことは困難であり,上記時点で胃の内視鏡検査を実施するかどうかは医師の裁量の範囲内であり,これをしなかったことに過失があったとはいえないとしているが,G意見書が指摘するとおり,看護記録には,既に4月29日午前9時30分の欄に「便 暗赤色にて」,午後4時30分の欄には「タール便にて多量にあり」と記載されているのであるから,Y としては,この段階でBの上部消化管出血を疑うべきであり,内視鏡検査を実施するかどうかが医師の裁量の範囲内にあったとはいい難く,Y は,緊急内視鏡検査で出血源の検索と止血術を行うべきであったとするG意見書の意見は,合理性を有するものであることを否定できない。
オ そうすると,4月29日以降のBの状態や前記2(3)の医学的知見から判断して,原審は,Y において,Bに対し輸血を追加すべき注意義務違反があることをうかがわせる事情について評価を誤ったものである上,G意見書の上記イの意見が相当の合理性を有することを否定できないものであり,むしろ,E意見書の上記アの意見の方に疑問があると思われるにもかかわらず,G意見書とE意見書の各内容を十分に比較検討する手続を執ることなく,E意見書を主たる根拠として直ちに,Bのショック状態による重篤化を防止する義務があったとはいえないとしたものではないかと考えられる。このことは,原審が,第1回口頭弁論期日に口頭弁論を終結しており,本件の争点に関係するG意見書とE意見書の意見の相違点について上告人らにG講師の反論の意見書を提出する機会を与えるようなこともしていないことが記録により明らかであること,原審の判示中にG意見書について触れた部分が全く見当たらないことからもうかがわれる。このような原審の判断は,採証法則に違反するものといわざるを得ない。

(3)ア 次に,Y の行為とBの死亡との相当因果関係の有無に関して,E意見書は,「5月2日の早朝,突然の消化管からの大出血については,まったく予測不能であり,地裁判決のとおり,1600mlの輸血が,行われたと仮定しても,このような,大出血の場合,心肺停止は防ぐことが出来なかったと考える。」として,上記因果関係を否定している。

イ これに対し,G意見書は,「出血源の明確な同定が出来ていないとはいえ,消化管内のいずれかの場所から出血していることは間違いなく,4月29日には,vital signからもプレショック状態と判断できるはずであった。それにもかかわらず輸血の開始時期が遅く(4月30日午前8時50分になって初めて輸血開始),しかも輸血量が少ない(中略)など,出血に対する治療が,きわめて不十分であった。」,「輸血とともに重要なことは,出血源の検索である。主治医は当初,大腸の吻合部からの出血と考え,まずCT検査や超音波検査などをおこなっているがその所見から腹腔内への出血は否定された。その結果,下血の原因が「吻合部からの腸管内への出血」との考えにこだわり,対応が遅れてしまったと考えられる。(中略)4月29日に出血源に対する究明がなされ,迅速な対応がなされていれば,本件の患者の救命の可能性は高かったであろう。まず,中心静脈圧を測定しつつ,ショックを起こさないだけの充分な輸血・輸液を行い,迅速なショック対策を講じると同時に,緊急内視鏡検査を行って急性胃潰瘍からの出血が確認されれば,露出血管のクリッピング,エタノールの局所注入,(中略)などの方法によって,出血をコントロールしえた可能性がある。急性出血性胃潰瘍に対する緊急内視鏡検査と内視鏡的止血術により殆どの患者は救命しうると考えられ,上記のようなさまざまな方法の組合せにより止血の確実性も増している。(中略)もし,内視鏡的な止血術が不成功に終わった場合は,ただちに開腹術を行い,出血部位を確認して,胃切除などの観血的な治療を行えば,患者の救命は可能であったと考えられる。」としている。

ウ 前記確定事実によれば,Bは,5月2日早朝に初めて多量の出血があったのではなく,4月29日から既に出血傾向にあったのであるから,5月2日早朝までに輸血を追加して,Bの全身状態を少しでも改善しながら,その出血原因への対応手段を執っていれば,Bがショック状態になることはなく,死亡の事態は避けられたとみる余地が十分にあると考えられ,G意見書の上記イの意見は,相当の合理性を有することを否定できないのであり,むしろ,E意見書の上記アの意見の方に疑問があるというべきである。それにもかかわらず,原審は,G意見書とE意見書の各内容を十分に比較検討する手続を執ることなく,E意見書の上記アの意見をそのまま採用して,上記因果関係を否定したものではないかと考えられる。このような原審の判断は,採証法則に違反するものといわざるを得ない。

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